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『Aladdin』が好きだ

 私はディズニー映画の『Aladdin』の大ファンだ。自他ともに認める大ファンだ。ディズニーシーの門が開くと同時に、アラビアンコーストに行ってしまうくらいには『Aladdin』の世界観が好きだ。

 

 特に好きなのは、ランプの精・ジーニーだ。彼のコミカルな喋り、コロコロと変わる表情、友人であるアラジンに対する優しさ、全部が大好きだ。

 

 そんな私が『Aladdin』で一番好きなシーンは、冒頭部分、行商人が通行人(視聴者)に語りかけるシーンだ。行商人は「昔々、魔法のランプがある1人の若者の人生を変えた」と言う。興味を持った通行人に、その話を昔話として語るところから、お馴染みのストーリーが始まる。

 

 『Aladdin』を観たことがある人の何割が、このシーンを覚えているのだろうか。「そんな人いたっけ?」と思うのも無理はない。このシーンは本筋とは関係のない、カットしてもいいような時間だからだ。だが、私はこのシーンが一番好きだ。

 

 このブログを読んでいるのなら、「アラジン 行商人」で画像を検索してほしい。行商人の指を見てほしい。彼は4本指なのだ。

 ミッキーマウスの指は4本。アラジンの指は5本。ジャスミンの指は5本。ジーニーの指は4本。ディズニー作品において、4本指とは「人間ではない」ということを意味する。つまり行商人は人間ではない。

 

 日本語吹き替え版では声優が異なるため分かりづらいが、アメリカの原作版ではジーニーの声優も行商人の声優もロビン・ウィリアムズ。つまり、行商人はジーニーが変身した姿。『Aladdin』は、ジーニーが昔話として視聴者にアラジンの半生を語っている映画なのだ。

 

 「昔」がどの程度昔なのかは本編から分からないので、ここからはファンの考察にすぎないが、アラジンはもう、この世にいないのではないだろうか。ジーニーの一番の願いであった「自由」を与えてくれた親友・アラジンは死んでしまった。ジーニーはそんなアラジンの優しさを、彼が死んだあとも語り継いでいきたかったのではないだろうか。

 

 アラジンが死んだ時、ジーニーはどんな気持ちだったのだろう。アラジンの妻であるジャスミンが死んだ時、ジーニーはどんな気持ちだったのだろう。ジーニーは何年、哀しみに暮れたのだろう。

 

 しかしジーニーは行商人に化け、視聴者に「愉快な話」としてアラジンの半生を語りかける。アラジンの死はジーニーにとって悲劇だったに違いない。しかし角度を変えれば、それは喜劇になるのだ。

 

 哀しみを背負いながら、ジーニーは今日も軽快な口調でランプについての逸話を語る。私は、『Aladdin』が好きだ。