世界の縁からこんにちは

いろんなことを書きます

2015年、M-1で2位になった漫才師へ

 いつからファンになったのだろう。気付いたら大好きになっていた。

 銀シャリのネタを初めて観たのはいつだったのか、私は覚えていない。三重県の片田舎で育った私には、「オンバト」と「エンタ」と「レッドカーペット」しかなかった。どこで銀シャリのネタを見たのだろうか。テスト明けの日のみ許されたYouTubeだろうか。

 7年前、高校2年生だった私は、今も写真の中で橋本直さんとピースをしている。母と妹と一緒に、大阪に遊びに行ったときだ。初めて芸能人と写真を撮った。とても緊張した。

 その時にはもう銀シャリのことが大好きだった。当時、銀シャリはコンビ結成3年目。お笑い難民だった私が、どうやって大阪の若手のネタを観たのだろうか。本当に思い出せない。気付いたときにはもう銀シャリが好きだった。覚えているのは、高校3年生のときに『ギンギラ銀にシャリげなく』のDVDを実家の近くにある小さなCDショップで予約したら、店員さんが「それは何ですか?」という顔をしたことくらいだ。あのときはとても恥ずかしかった。

 大阪の大学に進学してすぐ、5upよしもとに行った。私は銀シャリのDVDを持って、橋本さんにサインをお願いした。「鰻の分、あけときますね」と言って、橋本さんはサインをしてくれた。立ち位置は上手なのに、左側に書いてくれた。宝物になった。

 なぜかずっと鰻さんに会えなかった。単独ライブも行ったし、劇場で漫才もたくさん観たのに、ずっと会えなくて、5年が経った。私は京都で働くことになった。

 5年ぶりにM-1が復活した。銀シャリは2位だった。優勝がトレンディエンジェルに決まったとき、橋本さんの笑顔は硬かった。鰻さんの表情は、私の大好きなくしゃっとした笑顔からは程遠く、とても苦いものだった。

 「野心があんま無い」、「楽しく生きたい、楽しく全力で」、「こうなりたいとかあんま思ってやってない」、「僕はただのお笑いファンかもしれない」。『東西芸人いきなり!2人旅』でパンクブーブー佐藤さんに「銀シャリ・橋本」としての今後を訊かれた際、橋本さんが返した言葉だ。照れもあったのだろうけれど、ギラギラとした言葉とは程遠くて、私はちょっぴり寂しかった。2013年、長野県白馬村で、橋本さんは確かにそう言った。

 そんな橋本さんが、その隣でニコニコしている鰻さんが、あんなに悔しそうな表情を見せたのだ。胸が張り裂けるかと思った。「銀シャリは面白いよ、大好きだよ、頑張ったね、お疲れ様」と伝えたかった。銀シャリのネタで笑いたい、青いジャケットを生で観て、たくさん拍手を贈りたいと思った。エンディングのテロップが流れる中、翌々日の祇園花月のチケットを取った。M-1後、最初の舞台が祇園花月だったことは神様の思し召しかな、とさえ思った。

 祇園花月銀シャリは、筋肉少女帯の『日本の米』の出囃子で出てきた。M-1で着ていた一張羅のスーツではなくて、少しくたっとした、いつもの青いスーツだった。「鰻重子」とか「アイスコーヒー、ホットで!」とか「ことわざ」とか、もう何回観たか分からないネタを観た。でもネタの細かいところは変わっていて、やっぱり笑ってしまう。何回も観たのに笑ってしまうのは、私がファンだからなのだろうか。隣に座っていたお兄さんが、手を叩いて笑っていたのがとても嬉しくて、私は何も関係ないにもかかわらず、誇らしい気持ちになった。

 出待ちは2人だった。私と一緒に出待ちをしていたお兄さんは「銀シャリのために青い服を着てきた」と言っていて、微笑ましくなった。

 銀シャリの2人には、ありきたりなことしか言えなかった。「M-1悔しかったです」とか「応援しています」とか、散々聞き飽きたであろうことしか言えなかった。それでも2人とも優しく応じてくれた。

 最初に出てきたのは橋本さんだった。お兄さんが色紙にサインをお願いしたら、「鰻の分、あけときますね」と言った。5年前と同じサインだった。ああ、そういうところ、何にも変わっていないな。私はこっそり涙を堪えた。一つだけ変わっていたのは、橋本さんが右側にサインを書いたところだ。

 やっと鰻さんにサインを貰えた。ずっと会えなかったことを告げたら、鰻さんは全く悪くないのに、謝られてしまった。今年の単独ライブに仕事の都合で行けなかったと伝えたら、「来年もやりますから」と言ってもらえた。来年も単独ライブがある、来年も銀シャリは漫才をする、そんな当たり前のことが、とてつもなく嬉しかった。

 祇園花月Facebookに、鰻さんの写真がアップされていた。Vサインのポーズは、ピースではなく、2位のサインだそうだ。どこまでがネタでどこまでが本気なのか分からないけれど、来年は1位のサインをして、一緒に写真が撮りたいなと思った。

 来年もまたM-1があるかどうか分からない。「コンビ結成15年以内」のルールが継続されるかも分からない。でも、もしも来年もM-1があって、出場資格が今年と変わらなければ、エンディングで中央に立っているのは銀シャリであってほしい。満面の笑みでトロフィーを掲げてほしい。

 「もう銀シャリは売れているからいいじゃないか」、「関西で漫才をやっていてくれたらいい」、「東京に進出したら寂しい」。いろんな意見を聞いた。でも、銀シャリM-1チャンピオンになりたいのだ。銀シャリM-1チャンピオンになりたいと言うなら、私はそれを叶えてほしい。ファンというのはそういうものだ。2人の願いが叶えば、それで幸せなのだ。

 私にできることは何もない。劇場に足を運んだり、テレビをチェックしたり、感想を書いたり、そんなことしかできない。ネタを作るのは2人で、どのネタを予選で披露するか、決勝のネタ順はどうするかと悩むのも2人だ。勝手に好きになって、勝手に優勝してほしいと願って、重い荷物を背負わせる。ファンとは身勝手な存在だと思い知らされる。

 でも私にはそれしかできないから、これからも世界のすみっこで、ずっと「銀シャリが好き」、「銀シャリは面白い」と言い続ける。今までずっと応援してきたのだ。これからもずっと好きな自信はある。

 2015年、M-1で2位になった漫才師へ。
コンビを組んでくれてありがとうございます。面白いネタをたくさん作ってくれてありがとうございます。10年間解散せずに銀シャリでいてくれてありがとうございます。決勝に進出してくれてありがとうございます。ファイナルステージまで勝ち進んでくれてありがとうございます。鰻さんのボケが、橋本さんのツッコミが大好きです。サインに「“銀シャリ”はしもと」、「“銀シャリ”うなぎ」と書いてくれる2人が大好きです。だからこれからも、ずっと、銀シャリとして漫才を続けてください。応援しています。

 高校2年生の私は橋本直さんと、社会人1年生の私は橋本直さんと鰻和弘さんと、写真の中でピースをしている。来年、その隣に、1位のポーズをした私と銀シャリの2人の写真が並んだらいいな。