いつからファンになったのだろう。気付いたら大好きになっていた。
銀シャリのネタを初めて観たのはいつだったのか、私は覚えていない。
三重県の片田舎で育った私には、「
オンバト」と「エンタ」と「レッドカーペット」しかなかった。どこで
銀シャリのネタを見たのだろうか。テスト明けの日のみ許された
YouTubeだろうか。
7年前、高校2年生だった私は、今も写真の中で
橋本直さんとピースをしている。母と妹と一緒に、大阪に遊びに行ったときだ。初めて芸能人と写真を撮った。とても緊張した。
その時にはもう
銀シャリのことが大好きだった。当時、
銀シャリはコンビ結成3年目。お笑い難民だった私が、どうやって大阪の若手のネタを観たのだろうか。本当に思い出せない。気付いたときにはもう
銀シャリが好きだった。覚えているのは、高校3年生のときに『ギンギラ銀にシャリげなく』のDVDを実家の近くにある小さなCDショップで予約したら、店員さんが「それは何ですか?」という顔をしたことくらいだ。あのときはとても恥ずかしかった。
大阪の大学に進学してすぐ、
5upよしもとに行った。私は
銀シャリのDVDを持って、橋本さんにサインをお願いした。「鰻の分、あけときますね」と言って、橋本さんはサインをしてくれた。立ち位置は上手なのに、左側に書いてくれた。宝物になった。
なぜかずっと鰻さんに会えなかった。単独ライブも行ったし、劇場で漫才もたくさん観たのに、ずっと会えなくて、5年が経った。私は京都で働くことになった。
5年ぶりに
M-1が復活した。
銀シャリは2位だった。優勝が
トレンディエンジェルに決まったとき、橋本さんの笑顔は硬かった。鰻さんの表情は、私の大好きなくしゃっとした笑顔からは程遠く、とても苦いものだった。
「野心があんま無い」、「楽しく生きたい、楽しく全力で」、「こうなりたいとかあんま思ってやってない」、「僕はただのお笑いファンかもしれない」。『
東西芸人いきなり!2人旅』で
パンクブーブー佐藤さんに「
銀シャリ・橋本」としての今後を訊かれた際、橋本さんが返した言葉だ。照れもあったのだろうけれど、ギラギラとした言葉とは程遠くて、私はちょっぴり寂しかった。2013年、長野県
白馬村で、橋本さんは確かにそう言った。
そんな橋本さんが、その隣でニコニコしている鰻さんが、あんなに悔しそうな表情を見せたのだ。胸が張り裂けるかと思った。「
銀シャリは面白いよ、大好きだよ、頑張ったね、お疲れ様」と伝えたかった。
銀シャリのネタで笑いたい、青いジャケットを生で観て、たくさん拍手を贈りたいと思った。エンディングのテロップが流れる中、翌々日の
祇園花月のチケットを取った。
M-1後、最初の舞台が
祇園花月だったことは神様の思し召しかな、とさえ思った。
祇園花月の
銀シャリは、
筋肉少女帯の『日本の米』の出囃子で出てきた。
M-1で着ていた一張羅のスーツではなくて、少しくたっとした、いつもの青いスーツだった。「鰻重子」とか「アイスコーヒー、ホットで!」とか「ことわざ」とか、もう何回観たか分からないネタを観た。でもネタの細かいところは変わっていて、やっぱり笑ってしまう。何回も観たのに笑ってしまうのは、私がファンだからなのだろうか。隣に座っていたお兄さんが、手を叩いて笑っていたのがとても嬉しくて、私は何も関係ないにもかかわらず、誇らしい気持ちになった。
出待ちは2人だった。私と一緒に出待ちをしていたお兄さんは「
銀シャリのために青い服を着てきた」と言っていて、微笑ましくなった。
銀シャリの2人には、ありきたりなことしか言えなかった。「
M-1悔しかったです」とか「応援しています」とか、散々聞き飽きたであろうことしか言えなかった。それでも2人とも優しく応じてくれた。
最初に出てきたのは橋本さんだった。お兄さんが色紙にサインをお願いしたら、「鰻の分、あけときますね」と言った。5年前と同じサインだった。ああ、そういうところ、何にも変わっていないな。私はこっそり涙を堪えた。一つだけ変わっていたのは、橋本さんが右側にサインを書いたところだ。
やっと鰻さんにサインを貰えた。ずっと会えなかったことを告げたら、鰻さんは全く悪くないのに、謝られてしまった。今年の単独ライブに仕事の都合で行けなかったと伝えたら、「来年もやりますから」と言ってもらえた。来年も単独ライブがある、来年も
銀シャリは漫才をする、そんな当たり前のことが、とてつもなく嬉しかった。
祇園花月の
Facebookに、鰻さんの写真がアップされていた。Vサインのポーズは、ピースではなく、2位のサインだそうだ。どこまでがネタでどこまでが本気なのか分からないけれど、来年は1位のサインをして、一緒に写真が撮りたいなと思った。
来年もまた
M-1があるかどうか分からない。「コンビ結成15年以内」のルールが継続されるかも分からない。でも、もしも来年も
M-1があって、出場資格が今年と変わらなければ、エンディングで中央に立っているのは
銀シャリであってほしい。満面の笑みでトロフィーを掲げてほしい。
「もう
銀シャリは売れているからいいじゃないか」、「関西で漫才をやっていてくれたらいい」、「東京に進出したら寂しい」。いろんな意見を聞いた。でも、
銀シャリは
M-1チャンピオンになりたいのだ。
銀シャリが
M-1チャンピオンになりたいと言うなら、私はそれを叶えてほしい。ファンというのはそういうものだ。2人の願いが叶えば、それで幸せなのだ。
私にできることは何もない。劇場に足を運んだり、テレビをチェックしたり、感想を書いたり、そんなことしかできない。ネタを作るのは2人で、どのネタを予選で披露するか、決勝のネタ順はどうするかと悩むのも2人だ。勝手に好きになって、勝手に優勝してほしいと願って、重い荷物を背負わせる。ファンとは身勝手な存在だと思い知らされる。
でも私にはそれしかできないから、これからも世界のすみっこで、ずっと「
銀シャリが好き」、「
銀シャリは面白い」と言い続ける。今までずっと応援してきたのだ。これからもずっと好きな自信はある。
コンビを組んでくれてありがとうございます。面白いネタをたくさん作ってくれてありがとうございます。10年間解散せずに
銀シャリでいてくれてありがとうございます。決勝に進出してくれてありがとうございます。ファイナルステージまで勝ち進んでくれてありがとうございます。鰻さんのボケが、橋本さんのツッコミが大好きです。サインに「“
銀シャリ”はしもと」、「“
銀シャリ”うなぎ」と書いてくれる2人が大好きです。だからこれからも、ずっと、
銀シャリとして漫才を続けてください。応援しています。
高校2年生の私は
橋本直さんと、社会人1年生の私は
橋本直さんと
鰻和弘さんと、写真の中でピースをしている。来年、その隣に、1位のポーズをした私と
銀シャリの2人の写真が並んだらいいな。